ノッている時、
難しい病気もバンバン効きます。
技術以外のなにかをまとう気がするのです。
一度ふん詰まると、
いつも簡単にいく仕事も難しくなる事がしばしばあります。
これは私と鍼との関係性なのでしょうか。
或いは天の計らいでしょうか。
本当に不思議なものです。
鍼も私も生ものなんですね。
治療には実に鮮度があります。
一生もがかせて頂きます。
鍼医者一人,
自分は名医だと大口叩こうが
能ある鷹が爪を隠そうが
世間がどのように評価しようが
一本の鍼には全てが映ります。
隠しようがない。
ペテン師にはペテン師の鍼
金儲けの輩にはそれに応じた鍼
鍼とよく問答する者が持てば鍼は言葉以上によく語る
僕は何者だろうか。
世間の知る所ではない。
鍼だけが知っている事だろう。
鍼灸師・林玄一
私が何者かなんてきっと相手が決めるもので良いと思っています。
点天さんが何者かなんてきっと点天さんから病気を治してもらった患者さま一人、一人が知ってるでしょう。
針の効き方って治してもらったその人にしか分かりませんよね。証も症も体も一人一人違うから、治っていく過程での感じ方も違って当然。
じゃあ、点天さんの手も人によって神の手にも仏の手にも人間の手にも治療者の手にも・・・ひょっとしたらカウンセラーの手にもなるかもしれません。
だって、鍼と話をしてるのは点天さんの手よりもむしろ、患者さんの体だから(^-^)
点天さんが何者かは治った患者さんが決めれば良い・・・として、本物の鍼灸師が何者か?と聞かれたら
「しゃべれない人の体に対して鍼を通して人の体と対話のできる施術者」
・・・と言うのが鍼やの娘の感想です(笑)
偉そうに失礼しましたm(__)mぺこり。
その人の存在や行いが他の人の為になったり、喜びになればいいのではないでしょうか。
自分は果たしてそうなっているだろうか?と考えると全く自信はありませんが・・・
鍼灸の治療を受けるようになって気づいたこと、
日常生活の注意を先生から受ける時、気持ちをゆったり持つようにとよく言われます。
病は気からって、まさにその通りなんですね。心と体はつながっていることを痛感しています。
深い悲しみにさらされると、感受性が極度に高まるのでしょうか、先生の言われる「なにかをまとう」という状態になるような気がします。
先日、荒木経惟氏がドキュメンタリー番組で「愛する者たちに先立たれるたびに、いい写真がバシバシ撮れるようになっていく」みたいなことを言っておられました。
わたしも去年の冬に指の故障を発症したとき、「ピアノが弾けるうちに」と練習に打ち込んでレッスンに臨むと、ピアノの先生に「それが音楽です」というような褒められ方をしました。この時期、音楽幻聴も立て続けに3度経験しました。メロディーが自然に湧いてきて、作曲までしていました(笑)。故障の方は、林先生の「仕留めます」のお言葉どおりしっかり仕留めていただいて、おかげさまでこの春先にはほとんど治まりました。ほんとうにありがとうございます。
先生もさいきんそんな経験をなさっているのかも、と思いました。
masaさんは鍼医者の血が流れているので
直感的にわかるのでしょうね!
hickoryさんも感受性が強いですもんね。
僕も調子が悪くなると頭に言葉が浮かんで
止まらなくなり
寝ている間に患者の治療をしているような感覚になり
あそこはああだったとか。
ああ、こういうやり方があったのかと発見したりする事があります。
不思議です。
心身ともに追いつめられている時が多いです。
ピアノの先生は鋭いですね。
その一言で十分ですね。
故障の方、治って何よりです。
仕事はきちんとやらせて頂きます。
そのように思って頂けるだけで
うれしく思います。
心と身体はつながっています。
脳が主役とされていますが違いますが違います。
主は内臓なんですね。
五臓六腑各々が感情を主ります。
先人の知恵です。
ぽんたさんは素直ですね。
ぽんたさんの徳です。