今、社会に出て
仕事を持つと本当に人間力こそ、
個性こそが大事なんだと感じます。
自分のアイデンティティを探し続け、
もがき苦しむ友も多くいます。
高校生の頃、
社会というものに対する
無知がもちろんあったが、
頭の中にはそれを埋める事の出来るぐらい
あるいは そんなものなど置き去りにするぐらいの
世界があった。
色があった 匂いがあった
恐怖も 予感も 希望も 純粋も悪も
小さな箱には詰め込まれたたくさんの要素が存在した。
確かな表現を持たない僕は
それらを表す為に
歌った 絵を描いた えんぴつや墨で描かれた濃淡こそを愛し、
そこに色をつける事を嫌った。
なんだか色をつける事自体が 非常に嘘っぽく感じたから。
おそらく 絵の具で描く色よりも 濃淡で構成する頭の中の
像の方がよっぽどリアリティを持っていたのだろう。
今もモノクロが好きだ。
人の眼を描くのが好きだった。
いろいろなものを描いたが、
特に眼を強く描いた。
何よりも真実がそこにあるように感じたから。
そして よく歌った。
僕は恥ずかしがりだったから
決して声には出さず、
心の中でいつも歌っていた。
学校を遅刻して 誰もいない通学路に
存在する静寂 自分だけの時間の中で奏でる自分だけの
歌声は最高だった。
また、よくサッカーをした。
しかし、
先生は僕から
サッカーボールを没収した。
ウォークマンを奪った。
僕の大事な時間をけしからんものだと怒った。
僕の絵に無理矢理色を付ける事を強要した。
眼だけではなくバランスよく全てのものを描けと
指示し、描く順序まで示した。
針の道など行かず もったいないから大学にすすめと言った。
あれが果たして教育だったのだろうか。
今、非常に疑問に思う。
僕の中の色や 人の眼の輝きや
歌や色 匂いなどの全てが
今の僕の持つ鍼に生きている。
いや それこそが根幹になっていますよ
先生。
怒られるかな?
非常にくだらない学校だった。
これからの子には、
自分の個性を信じて
世に流れる流れを 五感をフルに使って
自由に感じて欲しい。
絶対に流れというものが存在する
流れを感じるんだ。
勉強は大事
筋トレみたいなものだから。
勉強でしっかり筋肉をつけて
君たちの感じる方向に進めば良い。
そのかわり 死にものぐるいで打ち込むべきだ。
収入も夢も喜怒哀楽も絶対に保証してくれる。
誰が?
天が。
流れを感じろ。
社会の嘘なんて 君たちの眼で見抜けるはずだ。
人にはそんな能力が備わっている。
自分を見くびるな。 信じろ。
これからのアーティスト達へ。