天の成分である”徳”と、他の成分である”気”
(狭義の気と混同しないように)。これら天地の陰陽が交流して
”精”というものが出来る。
この精にも陰陽があり、それが交流し煮つまって、”神”なる
ものが出来、生命力が生じるのだと書かれている。
我々が生まれてくるための父と母の交わりも、
まさにこのような天地陰陽の交流の縮図ではないでしょうか。
人の営みには、常に天地の法則が投射されている。
そこに古来から人は我が身の内にも神が存在するのだと、
抽象的な表現ではあるが、
それらの営みを感じていたのではないでしょうか。
神について戻ると、我々は患者に対する時、
常にこの”神”を診るのです。
よくわかりやすいのが”目力”。目に力があるかどうか、
輝いているかどうかは、素人の人でもよくみるところですが、
このように”何か目に力があり底力があるように感じじる”のを
”神”が充実しているとし、かすんだような虚弱なものを
”神なし”とみるのである。
舌や腹、脈、経穴もしかり、この神を我々はよく見なければならない。
(注: なじみのない方は神と言う字に宗教性を抱くかもしれませんが、
ここでいう”神”は宗教的な神(カミ)ではなく、
あくまで東洋医学にいう体を構成する神(シン)を指す。
古典には病人を前に医者はこの神(シン)をみることをよく説いているという事実があります。)
いえいえ。
面白いですよ。
参考になります★