昨晩、家から出ると月が大変綺麗で、
雲に照らされた光のグラデーションの美しさに私の言葉を失いました。
月はその美しさと同時に、
なぜあのように憂いを帯びているのでしょうか。
しかし、まさにそこに惹かれるのである。
李白も月に望郷の悲しみを起こさせるとし、
月を見まいと詠った詩があります。
初月
玉蟾 海上を離る
白露 花を湿すの時
雲畔 風 爪を生じ
沙頭 水 眉を浸す
楽しいかな 絃管の客
愁殺す 戦征の児
因って西園の賞を絶ち
風を臨んで一たび詩を詠ず
このような意味です:
三日月が、はるか東の海面から上る。
それはきらめく露があ天上より降って、花をしっとりと潤す時分。
雲のかたわらに風が吹くと、
まるで雲が爪をはやしたかのように三日月が姿をあらわし、
砂浜近くで水面に映る三日月の影は、
まるで美女の眉をひたしたかのようだ。
月が出れば宴の管絃を楽しむ人々もいっそう心楽しいが、
それは出征している若者たちをいたく悲しませるものともなる。
だから私は古の曹植のような月見の遊興は断念し、
春のよ風に吹かれながら詩を作るばかりである。
(NHK出版『漢詩 李白』より)