ここでは、古人が陰陽なるものをどのように考えていたのかを
大変よく窺えるところです。 
それでは行きましょう。
有形のものが 全て無形のものの作用、運動に根ざされている
ことを非常によく表現されています。
我々が目にしている形の裏側には常に 無形の気の運動があるからであり、
無形の作用に基づかない形は存在し得ないし、
また、形は常に作用があってこそ 有形で有り得るのだということ。
陰陽は互いに対立し合い、しかし表裏一体なのだということ。
ものの善悪にも応用できると思います。
善があるから悪があり、善のない悪など存在しなく、
また、悪のない善など存在し得ない。
はたして純然たる善悪などはこの世に有り得るのかな。
   なんだか難しくなってしまいました。 ラララ♪
  


二 陰陽  陰陽応象大論 
 
陰陽応象大論日。
陰陽者天地之道也。萬物之綱紀。
変化之父母。生殺之本始。神明之府也。
治病必求于本。故積陽為天。
積陰為地。  陰静陽躁。
陽生陰長。  陽殺陰蔵。
陽化気。   陰生形。
寒極生熱。  熱極生寒。
寒気生濁。  熱気生清。
清気在下。  則(歹食)泄。
濁気在上。  則生(月眞)脹。
清陽為天。  濁陰為地。
地気上為雲。 天気下為雨。
故清陽出上竅 濁陰出下竅。
清陽発腠理。 濁陰走五蔵。
清陽実四肢。 濁陰帰六府。
水為陰。   火為陽。
陽為気。   陰為味。
味帰形。   形帰気。
気帰精。   精帰化。
精食気。   形食味。
化生精。   気生形。
味傷形。   気傷精。
精化為気。  気傷●味。
陰味出下竅。 陽気出上竅。
味厚者為陰。 薄為陰之陽。
気厚者為陽。 薄為陽之陰。
味厚則泄。   薄則通。
気薄則発泄。 厚則発熱。
 
 


難解なところのみ少し解説します。
陰は味を為す
物に味があるは陰から生じたと考えられた。
味は形に帰す
味は陰であり、また陰は形であり、
味はつまり有形の物に付属する。
有形の物があってこそ、味というものが出来たので、
形(物体)なくば味はなし。
形は気に帰す
有形の物体の根本は、結局は気である。
無形の気から有形の物体が生じたのである。
気は精に帰す
その気は、精から出来た。
飲食物を(水穀の)精微と呼び、気はここから生成される。
また、先天的な力も精と呼ばれる。
これを腎が蔵すため、先天の元気を腎にみるのである。
精は化に帰す
精とは、つまり変化する力であり、万物は常に変化して止まない。
その環、絶対的な作用力が根本であるということ。
この作用力を人類はあらゆる名を付け崇めてきました。
時に神と呼ばれたり、易によってその働きを表したり
一つの生命の形に具現化し崇めたり。
それらにより戦いも多く行われて来たが、
実は一つのものであると私は考えている。
釈迦も 化学者も 物理学者も 古にみる名医も
実は、まさしく同じことを言っているように感じてならない。
我々は一本の鍼に天地を見て 人身にも天地 森羅万象をみる。
器 書道家 文様 絵画
歌舞伎。。
良く出来た芸術作品にもそこに天地、またはその太極をみるのは、
万物をこのような作用力が支配するのであって、良い作り手もまたそれを感じるからに違いない。

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