骨が悪い 骨が悪い
ヘルニアの患者
腕の痺れ、肩や腕の痛みの患者さんが、
病院に行ってレントゲンなどを撮ると、こう言われる。
「ああ背骨がいがんでますねぇ。それで神経を圧迫するために症状が出ています。手術するしかないですね。」
と。
それも高い確率で。
骨だけのガイコツくんを見てもらえばわかる通り、
骨というものはグネグネと曲がるように出来ている。
骨が曲げることが出来るからこそ人はかがむことも出来るのだし、
歩くことが出来ます。
まるで電車のようなもので、固い車両部分があり、それをつなぐ柔軟な連結部分がある。
「骨が曲がっています。」
そりゃそうだ。
骨は曲がるのです。
何が問題か。
「骨がバランスの悪い状態で保持されていることが問題」なのです。
では何故そのようになるか。
それは骨を支えている筋肉や靱帯の弱り、過緊張、左右差などです。
骨と骨をつないでいるのが筋肉なのであって、筋肉が縮むことで体を動かすことが初めて可能となります。
肩と腕をつないでいる筋肉がギューッと縮むことによって肩はあげることが出来るのだし、
膝と大腿部(太もも)の後ろをつなぐ筋肉が縮むことによって膝は曲げることが出来るのです。
筋肉がなければ骨はバラバラになってしまいます。
つまり筋肉の状態によって骨の位置関係が変わることが理解できると思います。
そうすると当然今度は、それでは、なんで筋肉の状態に異常が出るの?
となります。
筋肉が弱るのは、内臓が弱るからです。
五臓六腑それぞれが管轄する筋肉の領域が存在します。
胃が悪くなれば、
胃の管轄の筋肉に影響が出ます。
肝が悪くなれば、肝の管轄の筋肉が弱るのです。
他臓腑もまたしかり。
奥の奥まで掘り下げて原因を追求した場合、
そこには臓腑の環境があります。
それを放っておいて、すぐに手術をする。
これはいかん。 非常にいかんです。
本当に骨の問題で手術しなければどうしようもないものも
あるにはある。
しかし、実際はほんの一握り。
きちんと治せば手術などいらぬのがほとんど。
私は、そういう患者を多く診ているので言えること。
毎日 そのことを証明しています。
骨に異常のないものでも すぐに手術をさせるのは
罪のない者を ナイフで刺すのとそう変わらない。
非常に罪深き行為。
医者は治せないなら 治せるように技術をつければいいこと。
手術でしか治せない未熟さを悔やみ 先に進むべき。
それを棚上げして すぐにメスを入れるのはまずい。
かの有名なドイツのポルシェ社は、
「最新のポルシェは最良のポルシェである」
と名言を残していますが、
残念ながら、最新医学が最良医学ではないのです。
医学はどんどん本質から遠ざかっていると言えます。
見ていて下さい。
そのうち 手術は古いと言い出しますよ お医者様は。
平気で言う事が変わりますから。
医学に人の体に古いも新しいもない。
医学に流行はいらん。
あるのは現象ただそれのみ。
現象 経験以外から学ぶものなど微々たる物である。
東洋の智恵があるが 私が修行してそれらを変えることが出来るか?
新説など提唱出来るか。
きっと無理でしょう。
莫大な経験と智恵の蓄積がそこにはある。
微動だにしない。 その観察量に到底及ばない。
それら先人の感じていた人の病の治し方を共有する事で
さえ私ひとり分 一生かけて行う作業。
私はその蓄積された智恵を現代に翻訳する作業をしているとも言える。
医学の智恵は数年単位で変わるものではない。
現代医学のそれはやはりおかしい。
過去の遺産を忘れ 一から積み直そうとしている。
自分達だけが正しいのだと喝破しながら。
東洋の医学を古の医学を学ぶ私は
その智恵を仰ぐだけでも遠く先が見えない。
先を見たい 先を見たい どこまでいけるのかな。
医学経験というのはそのぐらい大きなもの
現代医学は陳腐なものである。
右往左往している。
迷えば 先人に智恵を借りよ
何でも自分達で作り上げようとするな。
現代医学は後ろを見ない 前にしか進まない。
猪突猛進はまずい。
あなた達にどれだけのものが出来るか 何故後ろを振り向かないか。
過去の莫大な医学経験を燃やすな。
傲慢 あまりに傲慢
過去の遺産が燃やしきられるその前に。。