どうも新川です。
蒸し暑い日が続いております。
夕涼みの散歩をしていた時の1枚です。
さて、ここからが本題です。
前回の記事: 歴史書と東洋医学 史記篇 其ノ一
『扁鵲倉公列伝』
内容として、
・扁鵲
・倉公(淳于意)
医家であるそれぞれの人物のエピソードが綴られている。
列伝の記載の順に従い、扁鵲の説明を行う。
扁鵲
「扁鵲者.勃海郡鄭人也.姓秦氏.名越人.〜」
(扁鵲は、勃海郡の鄭の人。姓は秦、名は越人。)
から始まるが、
牧野謙次郎によると、
「扁鵲はもと黄帝時代に出でし神醫の名なり、
春秋戦國の時代に出でたる名醫秦越人と云ふもの、
其の行の之と相類せしを以て扁鵲と號すと、正義にみえたり〜」『史記国字解 第7』より引用
とあり、扁鵲の名は偉大な医家に与えられた称号のようなものといえる。
長桑君から医術の手ほどきを受ける説話が続く。
「長桑君から薬と秘伝の医書を受け取る。
その薬を飲むと、壁の向こう側にいる人が見えるようになり、
その能力をつかって、患者の五蔵や病変を診断していたが、
対外的には脈診で診断しているとしていた。」
これらの文からは、
人の能力を超越しているというエピソード、
もしくは望診の能力がずば抜けて高いことを誇張した表現としたともいえる。
「當晉昭公時.諸大夫彊而公族弱.趙簡子爲大夫.專國事.」
(まさに晋の昭公の時、諸の大夫は強く公族は弱く 趙簡子(趙鞅)が大夫と為ると、国事を専らにした。)
趙簡子(趙鞅)が生きた時代(?〜紀元前463年)からすると、
昭公(前531年 – 前526年)の時代ではなく
その二代後の、定公(前511年 – 前475年)の時代の可能性が高い。
「簡子疾五日.不知人.大夫皆懼.於是召扁鵲.〜」
(趙簡子(趙鞅)が病にかかり、五日間、人事不省(じんじふせい)になり、晋の大夫たちは皆懼れ、ここに於いて扁鵲を召し寄せた。〜)
とあり、
実際に診察したところ、
「血脈治也而何怪」
(血脈は落ち着いて調っており、何も怪しむに及ばず)
と診断し、
意識が回復した後の状態まで予測した事から、
趙簡子より褒美を受け取る。
続く
参考文献:
『中医基本用語辞典』
『中国医学の歴史』
『中医学の基礎』 東洋学術出版社
『国土社版世界の名作 史記』国土社
『史記国字解 第7』早稲田大学出版部
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