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どうも新川です。
今回、中国の歴史を学ぶにあたり、
「史記」を片っ端から読んでみようと、
図書館に出かけたところ見つけた一冊です。
史記の内容が全て網羅されている書籍は、実は少ないようです。
内容が膨大なので致し方ない部分はありますね。
こちらの本も史記の中でも
割と有名なエピソードを中心に内容が組まれておりまして、
出てくる登場人物は、
管仲、鮑叔、孫子、呉起、孟嘗君、馮驩などなど
錚々たる人物が名を連ねております。
さて、ここからが本題です。
前回の記事:歴史書と東洋医学 其ノ一
歴史書と東洋医学の関係に目を向けていくと、
『二十四史』が中国の歴史をまとめたものとしてある、
というところまで進みました。
『史記』
著者:司馬遷
作成時期:紀元前91年頃
主な内容:黄帝から前漢の武帝までの歴史上の出来事
本紀12巻、世家30巻、表10巻、書8巻、列伝70巻 全130巻から成る。
※黄帝は、
「黄帝内経素問」に出てくる人物ですが、
史記では、どのような人物だったかという説明に終始しておりますので、
今回は割愛します。
この中に『扁鵲倉公列伝』があり、
扁鵲と倉公はそれぞれ医者の名前を指します。
扁鵲(生没年未詳)
姓は秦、名は越人。
斉の国、盧邑(今の山東省済南長清県)、
また、一説によると渤海群鄭(今の河北省任丘鄭州鎮)の人。
紀元前五世紀頃に生まれ、
若くして医術を長桑君に習う。
その後、民間の医者として斉・趙・衛・鄭・秦などの各地を遍歴した。
彼の特徴は、
医術の中でも、特に望診と脈診に関して、
他の追随を許さない技術を誇っていたと伝えられる。
倉公(紀元前215年〜紀元前150年)
臨葘(今の山東省臨葘)の人。
一般的には淳于意と呼ばれることが多い。
倉公の名の由来は、斉国の太倉長(国家の倉庫を主管する官職)に任じられていたため。
幼い頃から医学を好み、若くして公孫光に拝謁を許されて医術を学び、
後あらためて、公乗(爵位の名)陽慶に師事した。
彼の特徴は、
疾病の治療に際して、とくにその患者の病歴や治療経過を記録に留めることに意を用いたところにある。
そして、その患者の氏名・職業・職業・住所・疾患名・症状・脈象・弁証・治療状況およびその疾患の転帰や予後など
について詳細に記録した。
そのような医療記録を当時は「診籍」とよばれていた。
続く
参考文献:
『中医基本用語辞典』
『中国医学の歴史』
『中医学の基礎』 東洋学術出版社
『国土社版世界の名作 史記』国土社
※画像や文献に関して、ご興味がおありの方は
是非参考文献を読んでみて下さい。