こんにちは、大原です。
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鍼道秘訣集を読む その1
鍼道秘訣集を読む その2
鍼道秘訣集を読む その3
鍼道秘訣集を読む その4
鍼道秘訣集を読む その5
鍼道秘訣集を読む その6
鍼道秘訣集を読む その7
四.三清浄 (前回からの続きです。)
第一ノ貪欲心變シテ一切ノ禍トナル此欲ヲ
離ザルガユヘニ針モ下手ノ名ヲ取事アキラカ也
譬ハ病人ニ逢テ腹ヲ診我心ニ乗加様ニ
セハ可レ愈ト念病者モ有又療治ノ行心
中ニ移浮事ナク腹ノ體吾心ニ乗ヌ病
人數多アリ加様ノ心ニ移ズ腹ノ様子
合點行ザルハ百日千日針スルモ吾心ニ合
點ノユカヌハ愈サル物ナレバ餘人ヘ御頼ア
レトテ療治セザル物也シカルニ我心ニ合點
行サレモ病人福祐ナルカ貴人等ナレバ合
點ハ行子ドモ先一廻モ針セバ譬病人死
シタリモ針ノ禮ハ可レ受ナド念ヒ取掛療
治スレモ元来合點ノ行ヌ病ナレハ痊ズシカ
レバ此針立下手ニテ針ノ驗ナシトテ針立
ヲ替者也又重病ニテ我心ニ乗子ドモ欲心ニ
被引取掛リ針スル内ニ病彌重リ終ニ死
スレバ下手ノ名ヲ取事ハ我欲心熾ナルカユ
ヘ也
(以下、続く)
今回も、まだまだ途中ですが、
いったんここで切ります。
原文に句読点などを入れ、
適当と思われるところで改行するなどし、
現代的な読み方にしてみたいと思います。
第一の貪欲心、変じて一切の禍いとなる。
これ欲を離れざるがゆえに、針も下手の名を取ることあきらかなり。
例えば、病人に逢って腹を診(うかが)い、
我、心に乗り、加様にせば愈ゆべきと念(おも)う病者も有り、
又療治の行(て)だて心中に移り浮ぶことなく、
腹の体、吾が心に乗らぬ病人、数多(あまた)あり。
加様の心に移らず、腹の様子、合点(がてん)行かざるは、
百日、千日針するとも吾が心に合点(がてん)の行かぬは愈えざる物なれば、
余人へお頼みあれとて療治せざる物なり。
しかるに、我心に合点(がてん)行かざれども、
病人、福祐なるか貴人等なれば合点(がてん)は行かねども、
まず一廻(まわ)りも針せば、
例えば病人死したりとも、針の礼は受くべきなど念(おも)い、
取り掛かり、療治すれども、元来合点(がてん)の行かぬ病なれば癒えず。
しかれば、この針立下手にて、針の印なしとて、針立を替える者なり。
又、重病にて我心に乗らねども、
欲心に被(さ)れ引か取り掛えり針する内に、
病ひいよいよ重り、ついに死すれば、
下手の名を取る事は我欲心さかんなるがゆへなり。
大まかな意味としては、
貪欲な心は、一切の災いのもとに変わる。
なぜなら、欲を離れることがないために、
針の腕前も下手であることになる。
なぜなら、例えば病人の腹を診て、
治療の方法が心に浮かんだと思うこともあれば、
病人の状態が分からず、
治療の方法がピンとこないという場合が
とても多くなるためである。
このように、自分の心に浮かばず、
自身の心に納得がいかなければ、
100日も、1000日も針治療を行っても治らず、
他の人に頼んでも治らない。
そのため、病人が裕福な場合に、
治療のお礼を受け取ることができると思って治療しても、
同じ様に、心に納得がいかなければ、
やはり病を治すことはできない。
これは「針置きの道具が、治療点を示さない」などと、
針が下手なのを道具のせいにして
その道具を取り換えているようなものである。
重病人に対しても、欲の心でもって治療を行い、
なかなか治らず、針の道具を
取り換えるようなことをしている内に
やはり病はどんどん重くなり、
ついには亡くなってしまうのは
我欲の心が強すぎるためである。
となると思います。
続きます。
参考文献:
『鍼道秘訣集』(京都大学附属図書館所蔵)より
https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00003559
(掲載画像は該当部分を抜粋)
『弁釈鍼道秘訣集』 緑書房
※画像や文献に関して、ご興味がおありの方は
是非参考文献を読んでみて下さい。