【研修生募集】
鍼灸一本の技術で生きていける
鍼灸師を目指しませんか?
当院では、研修生を受け入れております。
(現在、一名。性別不問)
研修期間は一年で、
適正が認められればその後のステップも存在します。
詳細は、一鍼堂大阪本院へ:☎06-4861-0070
どうも、新川です。
昼下がりの一枚。
つられてこちらも眠くなりましたZzzz〜
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前回までの記事はこちら
腹診と僧医 其ノ一
腹診と僧医 其ノ二
腹診と僧医 其ノ三
官医に変わり
徐々に民間医が台頭をあらわしてくるなかで、
日本医学の中興の祖とされる
「曲直瀬道三」について紹介していきたいと思います。
“1503年に京都で生まれる。
幼くして両親を亡くし、
10才の時に滋賀県守山の天光寺に入り、
その後京都の相国寺に入る。”
相国寺は
室町幕府三代目将軍・足利義満によって創建された、
臨済宗の寺院です。
鎌倉時代〜室町時代にかけて相国寺を含めた京都五山、
鎌倉五山において五山文学が栄えました。
これらは、中国へ渡った僧や、
来日した僧によってもたらされたものの影響が大きくありました。
その中の一つとして医術もあげられます。
“22才の時に、関東へ下り栃木県の足利学校に入る。
関東滞在中に田代三喜と出会い、
田代が中国から持ち帰った李朱医学を学ぶこととなる。”
足利学校は栃木県足利市にある、
日本最古の学校として日本遺産に登録された施設です。
起源は奈良時代から、平安時代からと諸説あるようですが、
最も隆盛を極めたのが、
室町時代に関東管領・上杉憲実が再興した時期です。
“39才の時に、
京へ戻り、将軍足利義輝、細川晴元、三好長慶などにも診療を行い
名声を集めていった。その後、啓迪院と称する
今でいう大学の付属病院のような施設を創建した。”
道三は多くの著書を残しており、
『啓迪集』『薬性能毒』『正心集』『指南鍼灸集』『弁証配剤医灯』『黄素妙論』『雲陣夜話』
また、『百腹図説』などが挙げられます。
続く