【研修生募集】
鍼灸一本の技術で生きていける
鍼灸師を目指しませんか?
当院では、研修生を受け入れております。
(現在、一名。性別不問)
研修期間は一年で、
適正が認められればその後のステップも存在します。
詳細は、一鍼堂大阪本院へ:☎06-4861-0070
どうも、新川です。
王子動物園入場ゲート付近にて
あざやかな朱色でした。
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前回までの記事はこちら
腹診と僧医 其ノ一
腹診と僧医 其ノ二
僧医が活躍していった背景に
少し触れておきたいと思います。
当時の僧侶は、
大陸からの文化や学問などを得、
時代の先端をいく立場にたっていたことから、
医療の分野でも活躍する要素は充分にあったと考えられます。
現代では、医師など医療に関わる資格は、
国家資格として国が認定した者しか行う事は出来ません。
昔の日本にも時の政府が公認した医療がありました。
『官医』というのがそれにあたり、
古墳時代(3世紀中頃〜7世紀頃)の大和朝廷が支配していた時期に、
百済や新羅、高句麗などの朝鮮半島からの
医薬知識をもった帰化渡来人を中心に構成されていた組織が、
日本で初期の政府公認の組織であったといえます。
しかし、徐々に官医は衰退していきます。
日本医療史の中に以下のような記載があります。
「伝統や権威にすがれない民間医が頼れるのは己れの腕しかなく、
したがって新知識に対しては貪欲にならざるを得なかった。
竹田昌慶・吉田意庵・坂浄運・僧月湖・田代三喜らは渡明して先進的な医学を学んでいる。
その貪欲さにおいて官医にかけるものがあったと言える。」『日本医療史(編:新村 拓)』より
医療が公的なものから民間へ徐々に移行していく流れがあり、
その中で僧医が社会的にも認められていくことになります。