この傷寒論のシリーズは、
当院の修行生によって毎週、水曜日の早朝に開かれる、
自主的な勉強会におけるメモ・備忘録となります。
古典の専門家によるものではなく、
一から学ぶ者の新鮮な目線を共有出来れば幸いに思います。
10/19(水)
太陽病中篇より
(37条)
太陽病、十日以去、
脈浮細而嗜臥者、外已解也。
設胸満脅痛者、与小柴胡湯。
脈但浮者、与麻黄湯。
(37条)
太陽病にかかってしばらく経過した場合、
以下①〜③の3パターンに分かれる。
①自然に治る場合
②正邪の闘争が長引いたため、少陽に邪が入る→少陽病
③正気は充実しながら、未だに表寒が残る→太陽病
しかし、太陽病にかかってしばらく経過しているため、
例えば③の場合は、傷寒にかかった直後の太陽病とは
程度が異なると思われる。
太陽の邪の発散を試みて、
発汗だけでなく鼻血が出ることで治る場合もあるようであるが、
これは邪が血分に入り混んだためではないだろうか。
また、正気も落ちこんでいる可能性もあるため、
麻黄湯を用いる場合も慎重にすべきである。
(38条)
太陽中風、脈浮緊、発熱、悪寒、身疼痛、不汗出而煩躁者、大青竜湯主之。
若脈微弱、汗出悪風者、不可服之、服之則厥逆、筋惕肉瞤、此為逆也。
(38条)
条文の冒頭から「太陽中風」とあるにも関わらず
「脈浮緊、発熱、悪寒、身疼痛」と傷寒の所見が記されており、
矛盾をみる。これはどういうことなのだろうか。
ある解説本によると
冒頭の「中風」の記述は「傷寒」の誤りであり、
この条文では傷寒(表寒実)の所見と、
「不汗出而煩躁者」との記述から
表の鬱滞によって内熱を呈したとする見方がある。
すなわち、表寒邪とそれによってこもった欝熱を、
大青龍湯(麻黄湯+石膏など)によって治すということである。
他方、冒頭の「中風」は正しいとする見方もある。
これは、素体として陽気壮実の場合、
風邪が営分など深い部分に入り混むことがあり、
その場合に中風証の通常の脈である「浮緩」ではなく
「浮緊」を呈するようである。
これを太陽中風表熱証とする。
中風証にかかり、もともとあった壮熱が
表を侵したということだろうか。
さて、この2つの考え方には矛盾があるが、
実際にはどのように考えるべきなのだろうか。
<以下、みんなで議論しているところに院長が
ひょろっと現れたのでつかまえて意見を求めました。>
条文は症状の羅列であるため
軽視しがちかも知れないが「煩躁」とある。
寒邪によって太陽病となり正邪の闘争が表位で行われる場合
「悪寒、発熱」は通常おこる。
しかし、同時に「煩躁」を起こすということは
重要視しなければならない。
その裏の問題とは、
ある解説では「素体として陽気壮実がある場合」とあるが、
実際の現場では、
気鬱から化火するもの、
脾胃の弱りがあり、
胸位で邪と結ばれているもの等、
様々な原因がありうる。
このように、症状を定点でみることなく考察していくと、
太陽病にかかった場合に、「煩躁」がおこらないように
その裏の問題を改善していくことが重要であるといえる。
表邪を受けて煩躁が生じること自体に、
実際の問題としては大きい。
その有り様によって、いくらでも多様な脈状を呈してくる。
本条文には読み方が2つあると上述したが、
その読み方の矛盾を考察するよりも
臨床においてその病の成り立ちを
考察していくことが重要ではないだろうか。
参加者:下野、新川、大原、盧、(途中から院長)