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こんにちは、本多です。
腹證奇覧の桂枝湯之證、
以下原文の下線部③についてみていきます。
↓前回までの記事はこちら
桂枝湯之證①
桂枝湯之證②
桂枝湯之證③
桂枝湯之證④
桂枝湯之證
此證腹滑にして、
底までもこたゆるものなく圖のごとく、只抅攣有り。
所謂臓佗病なし。上衝發熱、頭痛汗有り悪風する者は、桂枝湯を用いる也。
①不抅攣者は去芍藥湯を用ゆるなり。
抅攣劇だしき者は、加芍藥湯を用ゆるなり。
此三方を合わせみれば、上衝と抅攣との二つ、
此證の準拠たることを知るべし。
故に腹證を知らんと欲せば、
まず準拠とするところの字義を味ひ考ふべし。
衝は突也向也。毒の頭上へ突上るなり。
抅は物去り手能く止之なり。
また擁なり攣は係攣なり。
縄を以て引きつりしばるなり。
然れば抅攣は毒のかゝひきつるものなりこれらを診する法。
やわらかに指を下して腹中をいろひ探るに、
指頭にあたりてかゝわり引きつるものあり。
是すなはち抅攣なり。
夫毒腹中にあり、抅攣して上衝す、
是即桂枝湯の主治する所なり。
②衝逆して毒心胸を過るを以て嘔する氣味ある故、方中生姜あり。
又抅攣上衝すれば、攣引急迫も其うちにこもりある故、大棗甘草あり。
是この諸藥各主治する所ありといえども、壹に皆、桂芍二味に佐として、
抅攣上衝の毒を治するものなり。
然れども抅攣のみにて上衝なければ、
此方の證にあらざる故、上衝をつかまえものにして、
上衝者可與桂枝湯と、傷寒論にもいへり。
これを明方意視毒之所在といふなり。
右桂枝湯及び去芍藥加芍藥の三方、此に於てもとむべし。
その餘本方より去加の諸方も、亦みな桂芍に味の證を主として考うべし。
又曰③桂枝加桂枝、桂枝加皂莢(そうきょう)蜜傳あり。
後篇に書す、 懇請の人あらば傳ふべし。
桂枝去芍藥湯も亦腹候傳あり。
桂枝加桂湯と桂枝加皂莢湯について
なぜ記録に残さなかったのか、
当時の環境から考察してみます。
腹證奇覧が著されたのが1800年、
この頃、日本では天然痘が流行している時期でした。
天然痘とは
天然痘ウイルスを病原体とする感染症の一つで、
非常に強い感染力を持ち、全身に膿疱を生ずる病で、
中国ではその天然痘に相当する症状について
次の記載がみられます。
肘後備急方(葛洪(かっこう))
「比歳班瘡を病発するあり、
頭面及び身は忽ちにして周匝(しゅうそう:すみずみまでゆきわたる)して、
状は火瘡のように、皆白漿を帯びる。
劇しい場合は数日にして必ず死す。
これ悪毒の気という。」
諸病源候論(巣元方(そうげんほう))610年)
「傷寒の熱毒の気が盛んになると、疱瘡を発することが多い。
瘡の色は白か赤で、皮膚に発する。
瘡の頭部は瘭漿(ひょうしょう:腫れ物から液状のものが出る)をなし、
白膿が入るものは毒が軽く、
紫黒色の根が皮下に盛んにあるものは毒が重い。
その形が豌豆(えんどう)の如きを以て豌豆瘡となずけられる。」
以上のように
「疱瘡(ほうそう)」として記載されており、
主には
毒熱や湿毒などの外邪の侵襲により生じる事が多く、
清熱解毒、祛邪解毒が主とした治療になります。
日本では
緒方 春朔(おがた しゅんさく)が、
『医宗金鑑』(いそうきんかん:中国清代の書籍:1742年)に記載されている、
「種痘心法要旨」の「早苗種法」に基づいて、
天然痘の患者の痘痂(膿)を粉末にして
木べらに盛ったものを鼻から取り入れる「人痘種痘法」を用い、
天然痘に罹った、
緒方 春朔の知人の息子の症状を抑えることに成功します。
この天然痘に罹ると始めに
「頭痛シ、鼻塞リ、声重クシテ恰モ風寒ニ感冒スル者ニ似タリ」
これらの特徴があります。・・・・・(緒方春朔-わが国種痘の始祖-) より抜粋
そこで文礼氏は
桂枝加桂湯、桂枝加皂莢湯を使用する事で
疱瘡の改善を図ったのではないかと考えます。
つづく
参考文献:
『漢方概論』 創元社
『腹證奇覽』 盛文堂
『腹證奇覧 全』 医道の日本社
『傷寒雑病論』
『傷寒論を読もう』 東洋学術出版
『症状による中医診断と治療』 燎原
『中医臨床のための方剤学』
『中医臨床のための中薬学』 神戸中医学研究会
本多