こんにちは、大原です。
前回に続いて、黄帝内経によく使われている
助詞をみていきます。
①「不」・・・「(せ)ず」 (否定を表す)
例:凡此十二官者、不得相失也。
〜素問 霊欄秘典論篇(第八)より〜
(およそこの十二官なる者、相失するを得ず。)
2節目の「不得」は、
「不」の直ぐ後ろの動詞である「得る」を
否定するということなので、
あわせて「得ず」となります。
すなわち、この文章は
「これら十二官は、お互い失することがないのです」となり、
意訳すると「十二官は協調して働きます」
といった意味になると思います。
ちなみに、文章後半の「不得相失也。」の言い回しは、
素問の陰陽離合論篇にも出てきます。
人体における陰陽について、
三陽と三陰それぞれが「不得相失也。」である
(三陰、三陽それぞれの気が協調して働く)と述べられています。
同じ表現が用いられているということは、
何か重要な意味があるように思います。
②「于」・・・「〜に」 (「〜」には場所が入る)
例:穀入于胃、脉道以通、血気乃行。
〜霊枢 経脈篇(第十)より〜
(穀は胃に入りて、脉をもって通じ、血気すなわち行(めぐ)る。)
これは比較的分かりやすい助詞です。
意味もそのままで、全体のニュアンスとしては
「穀が胃に入って、脉が通じれば、血気がめぐるようになる」
ということで良いと思います。
ちなみに「乃(すなわち)」は、
「そこで」とか「やっと」というような
意味のようです。
また、他のところで「於」という助詞も
よく出て来ますが、同じく「〜に」と
場所をあらわすようです。
例:愚智賢不肖不懼於物。故合於道。
所以能年皆度百歳、而動作不衰者、以其徳全不危也。
〜素問 上古天真論篇(第一)より〜
(愚智賢 不肖 物に懼(おそ)れず。ゆえに道に合す。
よく年、皆百歳をこえて、動作衰えざる所以の者は、
その徳全くして危うからざるを以てなり。)
訳としては
「愚智賢は(どのような人でも)何事にも恐れませんでした。
これは道理に合っていたので
そのために、皆、動作が衰えることなく
百歳に達することができていたのです。
その徳(道理に合った考え方)によって、
危害(病など)を
全く受けることはありませんでした。」
というニュアンスになると思います。
また、上記の「于」と「於」は、
どちらも「〜に」という意味ですが、
「于」は、比較的小さな物などに
ピンポイントにくっつくようなイメージで、
「於」は、それに対して比較的大まかな場所や
物に存在するようなイメージになります。
このような語感の違いも大切ですね。
続きます。
※正確な現代語訳や読み下し文、
その他漢文の解説に関する内容は、
参考文献を参照してください。
参考文献:
『黄帝内経 素問 上巻』 東洋学術出版社
『黄帝内経 霊枢 上巻』 東洋学術出版社
『基礎からわかる漢文』 日栄社
『漢文法基礎 本当にわかる漢文入門 』 講談社学術文庫
*画像や文献に関して、ご興味がおありの方は
ぜひ参考文献を読んでみて下さい。
大原