仕事人っていうのは、
少なからず、時間や精神、肉体の
人生における大部分をすり減らし、
時に傷を負い、その都度その都度の想いを
背負いながら歩み続けるものだと思っている。

新しくこの世界の門戸を開こうとする
世代の者達が、
自分の個性を尊重しながら、
あくまで職業として鍼灸施術業を掌握しようとし、
休日には仕事では決して触れられたくない場所を
堪能し、自分を守りながら
スローライフのようなものを頭に描き、
自分の時間と
職業としての鍼灸師の時間を
二層に綺麗に分けたいと主張する様を
見受けることが多いけれども、
それは違うのではないかと
僕の中では大きな拒絶が起こる。
いろいろな人がいて良いよって言う
主張はわかるのだけれども、
そんな主張は絶対に受け入れられない自分がいる。

鍼師ってそんなに甘くないよ。
と、ここには書いておく。
聞きたくない人は耳を閉じればいい。
そちら側と
意見を受け入れあって、妥協し、
なにかを生み出そうという気は僕には毛頭ないので。

鍼師に求められることってなんだろうか。
憩いの場か?
心の拠り所か?
多くは違う。(そういう場所があってもいいが。)
現代医学で
誰も治せないものを治してくれるような
奇跡を患者は求めている。
僕らは奇跡を起こし続けなければならない。
奇跡を起こせば神がかりのようだと称えられるが、
奇跡を起こせなければ一転、唾を吐かれる。
それが現実。
自分を慰めながら、
習い事気分では到底出来ないよ。

この世界は、
個人個人がそのような現実を受け入れるざるを得ないのが現状。
そして、
気付くときには時、既に遅し。
と、いうことを
学校に入った初学者に対して
誰かが言ってあげなければならないと思う。

  林

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