「『鍼灸いろは経 各論』
(杉山勲著 源草社)を読んで
その中に肝木の臟は肝蔵に非ずという記載があり
とあり疑問に思いました。
本の内容の一部を抜粋
”西洋医学で言う肝蔵は、
東洋医学的には脾土の臟と見るべきである。
〜中略〜
なぜこのような間違いが起きるのかというと、
原因は『解体新書』を著した杉田玄白らの考え方にある。
〜中略〜
脾土はまた、胃の腑と共に
「中焦」の代名詞で呼ばれる事もある。
このような作用のある臓器を杉田玄白らは
「いやしい(卑・賤)という意味の字をあてるのは相応しくない」
と考えて、肝臓と脾臓の名を逆にしてしまった訳である。”
とある。これは事実なのだろうか?
調べてみると『経絡治療講話』(本間祥白著 医道の日本社)に
杉田玄白と五臓に関して同じ様な記載があるとわかり、
残念ながら原文は確認できなかったのですが
一部の内容に関する記載が他院のホームページでありました。
(抜粋とはかかれてないので
原文の内容は少し違っている可能性もあります。)
”現代医学において
膵臓と呼んでいるものを漢方医学では脾と言っています。
どうしてこんなことになったかというと、
オランダ医書のほん訳のときに杉田玄白が、
こんな重要な消化器官に脾なんという粗末な名称はいかん、
脾とはしもべ、下卑、野卑の意味であり、
脾臓とは下等な臓器の意味である。
そして萃(アツマル)、
多く萃り栄えるところの臓器という意味から膵の名称を附し、
脾を漢方で認めなかったものに附してしまった。
ここから合致しなくなったのである。
・・・重ねていうが、
漢方医学および経絡治療での脾は現代医学の膵臓のことである。”
本間祥白著『経絡治療講話』
最初とまったく解釈が異なり
余計に混乱するだけでした。
杉田玄白らが蘭学(オランダ医学)を日本語に翻訳する際に
名前が変えたかは定かではありませんが、
現在の西洋医学的な内臓の機能を
東洋医学の五臓の働きに当てはめようとしても
無理があるなと感じました。
千島学説の学びでも書きましたが
(こちらを参照→【治療家日記】わからないことがわかる)
まだまだ人間・生命についてわかっていないことあるのに
いまあるピースだけでなんとか完成させようとするのは
ナンセンスですし、
これまでの歴史や思想を無視する事になると感じました。」