どうも、新川です。
暦でいうと啓蟄。
徐々に春めいております。
春分前のこの時期は、
七十二候
(古代中国で考案された季節を表す方式のひとつ。
二十四節気をさらに約5日ずつの3つに分けた期間のこと。)
でいうと
雀始巣(雀が巣を構え始める)
にあたります。
さて、今回は
逆調論篇についてです。
今回は、逆調論篇について綴って参ります。
本来ならここにまとめてある以上の内容がありますが、
なるべく分かりやすくするため、
一部を抜粋して表現させて頂いております。
【逆調論篇 第三十四】
黄帝が問う。
「一般的な温邪や熱邪が冒されたものではないが、
そのために発熱して煩満するのはどうしてか。」
岐伯が答える。
「陰気が少なく、陽気が勝るために発熱して煩満するのです。」
黄帝がいう。
「衣服が薄いために、寒さを感じるでもなく、
寒気が中にあるわけでもないが、
寒さが中から生ずるように思えるのはどうしてか。」
岐伯がいう。
「こうした人は、多く※1痺気によるものです。
陽気が少なく、陰気が多いために身体が水中から出たように寒いのです。」
※1痺気
→
●「痺」とは「閉塞して通じない」という意味。
「痺気」とは陽気が虚弱なために陰寒が内生して、
気血営衛の運行がスムーズでなくなり、
閉塞不通となる病理を指す。
『聖済総録』
「一体、陽の虚は外寒を生じ、陰の虚は内寒を生ずる。
人の身体中の陰陽の気において、
いずれか一方が偏って多くなれば、おのずから寒熱を生ずるのであって、
必ずしも外からの邪気に傷われねばならぬわけはない。
痺気による内寒は、気が痺れて血が運行できず、
ために陽が虚して陰気がおのずから勝ったのである。
そのために血は凝りしぶって脈は通行しないのである。
身体が寒く、水の中から出てきたようなのがその証である。」
黄帝が問う。
「四肢に熱があり、風寒に逢えば、熱はさらにひどくなって
火に炙られたようになるのはどうしてなのか。」
岐伯が答える。
「このような人は、
陰気が虚して陽気が盛んです。四肢は陽気に属します。
この陽に属する四肢が陽に属する風に逢えば、
陰気はさらに虚少し、陽気はさらに亢盛します。
衰えて少なくなった陰気は盛んとなった陽火を消すことができず、
陽気が独り旺盛となります。
陽気が独り旺盛となれば、※2〔それだけでは〕生長することもできず、
陽は独り勝るのみで生長が停止してしまいます。
こうして四肢に熱があり、風に逢えば火に炙られるようになるといったような人は、
肉も次第に痩せ衰えていくのです。」
※2生長すること能わず
=〔それだけでは〕生長することもできず
→多記元簡の説
「『〔春秋〕穀梁伝』に『独陰だけでは生ぜず、独陽だけでは育たない』
というのは、まさしくこの意味である。」
黄帝が問う。
「身体が冷えてしまい、熱湯や火でも暖まることができず、
厚着して温かくならない。
しかし悪寒戦慄しないのは、どのような病気なのか。」
岐伯が答える。
「この人は、平素より腎気が偏勝し、
水中での作業に従事しているため、太陽の気が衰え、
腎脂も消耗して生長しません。
腎は水蔵で、骨髄を生長させますが、
腎の脂膏が生じなければ、骨髄を充満させることができないので、
寒冷は骨にまで達します。
悪寒戦慄しない理由は、
※3肝は一陽、心は二陽、腎は孤蔵であり、
一つの腎水は肝・心二陽の火に勝つことができないからです。
このため寒くても戦慄することがないのです。
この病気は骨痺といい、このような人には、
必ず関節の拘攣が見られます。」
※3肝は一陽、心は二陽
→陽は火と同義である。
高士宗の説
「腎水は肝木を生じ〔肝気は腎気から生ずるが〕、
肝は陰中の陽である。そこで一陽とする。
少陰〔腎経〕は心火と合するが、
心は陽中の陽である。そこで二陽とする。」
【解説】
以上の節は陰陽や水火が失調して生じた病気について論じ、
人体において陰陽の平衡が保たれ、偏らないことが重要であることを説明している。
もし陰が虚せば陽が盛んとなり、これを火旺といって、発熱の症状が現れる。
もし陰が盛んだと陽が虚し、
これを火衰といって、寒冷の症状が現れる。
また陰陽の平衡が失調するのは、内蔵の虚実と関係があり、
腎水が不足すれば、陰は陽に勝てずに
「一水 二火に勝つこと能わず」
の状態となり、精髄は枯渇して「骨痺」の症となるに至る。
黄帝が問う。
「皮肉が麻痺〔苛〕して、
綿衣を着ても、依然として麻痺している
これはどのような疾患なのか。」
岐伯が答える。
「栄〔営〕気が虚して弱くなれば皮肉は痺れ、
衛気が虚して弱くなれば肢体が動かなくなる。
栄と衛が倶に虚して弱くなれば、
痺れと〔肢体の〕運動麻痺が同時に現れ、
肌肉はさらにまったく麻痺してしまう。
一般に病人は、
皮肉からなる外形と内蔵に宿る神志とが適応していなければ、
死んでしまいます。」
黄帝が問う。
「・逆気を病んで仰臥することができず、息をすれば音のするものがいる。
・仰臥することはできないけれど、息をしても音のないものもいる。
・生活は平常通りでも息をすれば音のするものもいる。
・仰臥することができても動くと喘息の出るものもいる。
・仰臥することもできず、動くこともできず、喘ぐものもいる。
このような様々な症状は、どの蔵府に病があってそのようになるのか。
どうかその理由を聞かせて頂きたい。」
岐伯が答える。
「・逆気を病んで仰臥することができず、息をすれば音のするものがいる。
→陽明経脈の気が上逆したためです。
足の三陽経脈の気は、本来頭から足に下行しますが、
いま逆して上行するため、呼吸が滑らかに通利しなくなり、音がするのです。
陽明は胃の脈で、胃は六府の海ですが、その気もまた下行しています。
いま陽明経の気が上逆して、胃気が本来の通路に随って下行しなくなっているので、
仰臥することができないのです。
『下経』にも、
胃気が不和になれば仰臥しても安らかではない、とあります。
これはそのことをいったものです。
・生活は平常通りでも息をすれば音のするものもいる。
→これは肺の絡脈が不順だからです。
絡脈の気が経脈の気にしたがって上下することができなければ、
その気は経脈に留って絡脈を循行しなくなります。
ただし、絡脈の病気は比較的軽いので、そのため呼吸は滑らかでなく音がしますが、
生活にはほとんど影響しないのです。
・仰臥することもできず、動くこともできず、喘ぐものもいる。
→水気に冒されているためです。
水気というのは、津液の流れる通路に随って流れています。
腎は水蔵で津液を主っています。
そこでいま水気が上逆して肺を冒せば、呼吸困難や仰臥不能が出現するのです。
黄帝がいう。
「よくわかった。」
黄帝問曰、人身非常温也。非常熱也。為之熱而煩満者、何也。
岐伯対曰、陰気少而陽気勝。故熱而煩満也。
帝曰、人身非衣寒也、中非有寒気也、寒従中生者何。
岐伯曰、是人多痹気也。陽気少、陰気多。故身寒如従水中出。
帝曰、人有四支熱、逢風寒如炙如火者、何也。
岐伯曰、是人者、陰気虚、陽気盛。四支者、陽也。
両陽相得、而陰気虚少。少水不能滅盛火。而陽独治。独治者、不能生長也。独勝而止耳。
逢風而如炙如火者、是人当肉爍也。
帝曰、人有身寒、湯火不能熱、厚衣不能温。然不凍慄、是為何病。
岐伯曰、是人者、素腎気勝、以水為事。太陽気衰、腎脂枯不長。一水不能勝両火。腎者水也。而生於骨。
腎不生、則髄不能満。故寒甚至骨也。所以不能凍慄者、
肝一陽也。心二陽也。腎孤蔵也。一水不能勝二火。故不能凍慄。病名曰骨痺。是人当攣節也。
帝曰、人之肉苛者、雖近衣絮、猶尚苛也。是謂何疾。
岐伯曰、栄気虚、衛気実也。栄気虚則不仁。
衛気虚則不用、栄衛倶虚、則不仁且不用、肉如故也。
人身与志不相有、曰死。
帝曰、人有逆気、不得臥而息有音者。有不得臥而息無音者。有起居如故而息有音者。
有得臥、行而喘者。有不得臥、不能行而喘者。有不得臥、臥而喘者。皆何蔵使然。願聞其故。
岐伯曰、不得臥而息有音者、是陽明之逆也。足三陽者下行。今逆而上行。故息有音也。陽明者、胃脈也。
胃者、六府之海、其気亦下行。陽明逆、不得従其道。故不得臥也。
『下経』曰、胃不和則臥不安。此之謂也。夫起居如故而息有音者、此肺之絡脈逆也。絡脈不得隨経上下。故留経而不行。
絡脈之病人也微、故起居如故而息有音也。夫不得臥、臥則喘者、是水気之客也。
夫水者、循津液而流也。腎者、水蔵、主津液、主臥与喘也。
帝曰、善。
参考文献:
『黄帝内経素問 中巻—現代語訳』
『中医基本用語辞典』 東洋学術出版
『臓腑経絡学』 アルテミシア
『素問ハンドブック』 医道の日本社
※画像や文献に関して、ご興味がおありの方は
是非参考文献を読んでみてあげて下さい。