どうも、新川です。
前回の記事:『診病奇侅』 多紀元堅の背景 その1
1765年(明和二年)に江戸医学館の前身である「躋寿館」が開設され、
その際に参与したのが
儒者・井上金峨をはじめとする金峨門系の儒者であります。
金峨の家系を見ると、
祖父の代から常陸国笠間候に仕える侍医の立場にありましたが
のち、儒者の道を選んだとあります。
幼少期に
伊藤仁斎の学統にある川口熊峰に学び、
その後、井上蘭台を師事し
異なる学派から影響を受けており、
これらのことが折衷派となる礎となったという見方があります。
その金峨に学んだのが多紀元簡(元堅の父)であり、
「江戸医学館」における実績と権威を高めることに多大な貢献を果たしました。
続く
参考文献:『叢書 日本の思想家 25 井上金峨・亀田鵬斎』/明徳出版社