こんにちは、為沢です。
今回も『格致餘論』の序章の続きを紹介して参ります。


格致餘論:序

震昌三十歲時、因母之患脾疼、眾工束手、由是有志於醫。
遂取《素問》讀之、三年似有所得。
又二年母氏之疾、以藥而安。因追念先子之內傷、伯考之瞀悶、
叔考之鼻衄、幼弟之腿痛、室人之積痰、一皆歿於藥之誤也。
心膽摧裂、痛不可追。然猶慮學之未明、至四十歲複取而讀之。
顧以質鈍、遂朝夕鑽研、缺其所可疑、通其所可通。
又四年而得羅太無諱知悌者為之師、
因見河間、戴人、東垣、海藏諸書、始悟濕熱相火為病甚多。

続く


『格致餘論注釈』訳を使用:
私、震亭は三十歳の時、母が脾病を患ったが、
どの医者も如何とも出来なかったため医学を志した。
そして『素問』を読むこと三年、ほぼ内容を理解した。
また二年学び、母の病を治した。
そこで振り返ってみるに、父は内傷で、伯父は目がくらみ、
叔父は鼻血で幼い弟は脚の痛みで、
妻は痰が積もって死んだのも、みな薬が間違っていたからである。
心臓や胆嚢が張り裂けるようで、その痛みは救いようがないほどであった。
しかし学問にいまだよく通じていないことを考慮し、
四十歳になって再び『素問』を取り出して読んだ。
私はおろそかな性質であるので、朝夕研鑽を積み、
その疑うところは廃し、その通じる所は理解した。
さらに四年後、羅太無、いみなは知悌なる方は師事した。
先生を通じて、劉完素(劉河間)、張従正(張子和、張戴人)、
李杲(李東垣)、王好古(王海藏)の書物を読み、
はじめて湿熱や相火が病を引き起こすことが多いということを悟った。

続く

龍

参考文献:
『格致餘論注釈』 医聖社

※画像や文献に関して、ご興味がおありの方は
是非参考文献を読んでみて下さい。

為沢

返事を書く

Please enter your comment!
Please enter your name here