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こんにちは、為沢です。
今回は張景岳の『質疑録』の第十四章「論氣余即是火」です。
和訓:
人身を捍衛衝和して息まざるを氣と謂い、擾乱変動妄行するを火と謂う。
火と氣は、二つにして一つ、一つにして二つなる者なり。
人身の氣を顧れば、正氣有り、亦た邪氣有り。
人身の火に少火有り、亦た壮火有り。
少火は人の元氣を生み、是の火は即ち氣と爲す。
此の氣は正氣爲り。壮火は人の元氣を食す、是の氣は即ち火と爲す。
此の氣は是れ邪氣なり。
邪氣の有余は即ち火と爲す、若し正氣の有余なるは、便ち是れ人身の元氣なり。
人身の元氣は命門に生ず。命門は精神の舍る所にして、陽氣の根と爲すなり。
故に命門の火が旺んなれば、則ち糟粕を蒸して精微を化す、
所謂、人は此の火の非ずば生きること能わざる者也。
是の火は即ち是れ氣なり、誤りて有余の邪と認める可からず。
氣は人に少火を生ぜしめ、立命の本と爲すなり。
若し正氣有余なるを、便ち火と爲すと指す可からず。
丹溪の言は殊に明白を欠く。
・身体を病から守り穏やかに和らいでくれるものを「気」と呼んでいる。
・これに反して、身体を変動させ撹乱させるものを「火」と呼んでいる。
・火と気は元来同じものである。
・身体の気に正気と邪気があるように、身体の火に少火と壮火とある。
少火というのは元気を生じせしむものであり、この火は気であり、すなわち正気である。
・壮火は元気を蝕むものであり、これは火であり邪気である。
・邪気の有余が火であり、正気の有余とは身体の元気であり、
この元気は命門から生じたものである。
・命門は精と神の宿る所であり、陽気の根である。
だから命門の火が旺んであれば、
脾胃はよく食物の栄養を消化吸収することができ、
その精微を同化することができる。
・だから命門の火がなければ人は生きることができない。
この命門の火は即ち気であり、これを有余の邪気と誤認してはいけない。
・気は少火を生じ、生命を営む根本の力である。
だから正気の有余を火であるなど言ってはいけない。
丹渓の言う「気の有余は火である」という論述は明白さに欠ける。
参考文献:
『中国医典 質疑録』 緑書房
『格致餘論注釈』医聖社
『中国医学の歴史』 東洋学術出版社
『中国鍼灸各家学説』東洋学術出版社
『宋本傷寒論』東洋学術出版社
『現代語訳 黄帝内経・素問』東洋学術出版社
『現代語訳 黄帝内経・霊枢』東洋学術出版社
『校釈 諸病源候論』緑書房
『景岳全書』台聯國風出版社
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是非参考文献を読んでみて下さい。
為沢