<近日開催予定のイベント>
「素問を読もう!」勉強会のお知らせ
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こんにちは、為沢です。
日本の鍼灸について紹介しましたが、
もっと医学の起源から掘り下げてみようということで
今回より中国医学の発展の歴史について綴ります。
中国の歴史は皆さんご存知の通り、
数千年に及ぶ長い歴史があり
病気で苦しむ人々の治療においても
古人の知識と知恵、経験などを積み重ねてきました。
この医学は過去のものではなく、
未来永劫 遺すべき遺産であり、今後も医療業界は勿論のこと、
保健や福祉においても貢献し続けるものであります。
過去に中国の医家達が疾病と向き合い、どのように戦ってきたか、
どのように成果を収めてきたのかをご紹介していこうと思います。
まず、中国医学の最も古い歴史を語る上で
伝説上とされる人物を御紹介します。
・伏羲(紀元前3000年頃)
古代中国神話に登場する神または伝説上の帝王。
兄妹または夫婦と目される女媧と同様に、蛇身人首の姿で描かれており
下の画像が伏羲女媧図といいます。
左が女媧で右が伏羲です。
どちらも上半身が人間、下半身が蛇身という半人半蛇の姿で表されます。
この二神は手に別々の道具を持っており、
右側の伏羲は手に「矩(曲尺)」を、
左側の女媧は手に「規(コンパス)」を持つ姿で表されています。
(女媧の方が分かり辛いです。すみません!)
この伏羲と女媧が手に持つ規矩(きく)は、
正確に円形と方形を描く際に不可欠な道具で
天円地方の宇宙を設計し調和を維持していく
権能を象徴していると考えられ、
伏羲と女媧が共に天地を作り出した創世神であるとされ、
非常に古い時代から信仰されてきました。
伏羲は天地の陰陽変化の理に基づき八卦を創造し、
八種の単純な記号を組み合わせて複雑な森羅万象を説明したのです。
さらに、文字ができる以前、
縄の結び目で意味を伝える方法も考案。
また、伏羲は蜘蛛の巣を観察して網を作り、
鳥や魚を捕まえ人々に漁の仕方を教え、
人々の暮らしを豊かにしました。
帝になった後には婚姻制度を制定、
また、政治では統治地域を分割して治め、
それぞれの地区に官員を任命して社会を管理するなど、
後世の社会基盤を築きました。
伏羲は医療にも携わります。
皇甫謐(215年~282年)
『帝王世紀』
“伏羲氏……嘗百藥而製九鍼”
訳:伏羲…百薬を賞味し、九鍼を製る
羅泌(1131年〜1189年)
『路史』
”伏羲尝草制砭、以治民疾。”
訳:伏羲草を嘗め・砭(砭石)を造り、民の疾病を治す
とあるように、伏羲は古代九鍼の創始者であるとされておりますが
まだ考古学的には確証は得られていないようです。
伏羲の神話について簡単に紹介しましたが、
掘り起こせばまだまだあります(笑)
これらの神話が本当であるなら、
中国で神様のように扱われている人物であるのも納得です。
参考文献:
『東洋医学 基礎編』
『いちばんわかる!東洋医学のきほん帳』学研
『東洋医学概論』医道の日本社
『中国医学の歴史』
『中国鍼灸各家学説』東洋学術出版社
画像:
『図像本草蒙筌』総論,首巻,巻之1-12
早稲田大学図書館古典籍総合データベースより
http://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/html/ni01/ni01_00815/index.html
為沢