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こんにちは、為沢です。
今回は前回の続き江戸期以降の日本の鍼灸について御紹介致します。
(前回→【Q&A】日本鍼灸の歴史①)
江戸時代の鍼灸は日本独自の発展をし
様々な流派が乱立した時代でもあります。
その江戸時代に代表する流派に夢分流があります。
夢分流は腹診を重視した流派で、
その鍼術は御園夢分斎から弟子の御園意斎へ伝承し、
御園意斎の門人の奥田意伯が著した『鍼道秘訣集』という書物に残っております。
(詳しくは大原先生による
「鍼道秘訣集を読む」で解説しております。)
ここで腹診についての歴史を簡単に辿ってみます。
中国では『素問』気厥論第三十七篇に
「按腹」という単語が出てきます。
『霊枢』邪気臓腑形第四篇にも
「小腹偏腫而痛、以手按之、即欲小便而不得。」
という文字が見えますが、腹診の記述は極端に少なく、
望診や脈診の記述が圧倒的に多く強調されており
古代中国にも
腹診が行われた記録はあるにはありましたが、
“異性や身分の高い人の体にむやみに触れてはいけない”という
儒教の教えも影響したことで、
腹診はあまり発展しなかったようです。
日本の腹診の歴史的な背景を辿ってみると、
「はらとり」という名の手技が既に平安時代から存在しており、
腹を按じることで健康を保とうという
日本独自の手技療法がありました。
(腹診という意味では違うかも知れません)
時は流れ、江戸時代に無分流を始め、
様々な腹診術が開発されてきました。
日本でも儒教の影響はあったものの、
「誤診は許されない」という考え方が強かったため、
中国で発展しなかった腹診が
日本独自に発展していったものと思われます。
今回は腹診の歴史についての説明になってしまいましたね。
次回も日本鍼灸の歴史についての続きを御紹介致します。
参考文献:
『東洋医学 基礎編』
『いちばんわかる!東洋医学のきほん帳』学研
『東洋医学概論』医道の日本社会
『中国医学の歴史』
『中国鍼灸各家学説』東洋学術出版社
『カラー図解 東洋医学基本としくみ』西東社